史実と違うとは。
長州は会津では戦っていません。
長州は戦いには間に合わなかったそうです。
また、埋葬を禁じたというような、イニシアティブも持っていなかったようです。
これから言えば会津対薩摩のほうが怨讐があっても、と思います。
会津のほうから言うと、領地代えがあり、寒い北のほうに追いやられ、また、
石高も少ない小さな領地になった、という、恨みもあるそうです。
また、会津出身の人材は登用されなかった、とも思われています。
これについては、江戸時代の感覚では、幕府にたてついた藩はつぶすための
口実をあたえたようなもので、必ずとりつぶされています。
領地代えなど、大甘な裁定だと思います。
家老が一人切腹させられただけで、領主は殺されていません。
白虎隊にしても8割が生き延びたそうです。
会津出身の人材は重用されています。これは間違いです。小川信八郎や
山川健次郎などの会津藩士の子息をかばい大事に育て、その後の社会の
リーダーとすべく協力をしているようです。
山縣などの言動に問題はあったようですが。
実際の会津の人々の感情はそう悪くはないようで、これを声高くいうことで
観光などに刺激を与える意味が強いようです。
もう、このことを実際に体験した人など、現存していなく、個人的な意見では
アメリカ人を嫌うほうが、まだ、新しく、被害も多かった地域もあると思います。
甚大な被害を受けた地域の球団にも外国人助っ人がいます。
ある意味、煽り、という、側面があるでしょう。
ただ、萩との交流を訴えた市長が落選したことも事実らしいです。
間違ったこともあるかもしれません。ネットで読んだことなので。
そのときは、申し訳ありません。こういう解釈もあるということで。
- 2008/12/23(火) 10:22:30|
- 徒然
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